ARCHITECT
建築家インタビュー
- 掲載:2026年05月14日 更新:2026年05月14日
震災を越え、100年先の風景を編む。和倉温泉「美湾荘」白鷺亭の再建に見る、地域と共鳴する「負けない建築」と「やさしい建築」の真髄
木原圭崇建築設計事務所 木原圭崇

能登半島地震という未曾有の震災を経て、和倉温泉の老舗旅館「美湾荘」は今、大きな転換期を迎えています。なかでも甚大な被害を受けた「白鷺亭」の建て替え計画は、単なる既存施設の復旧に留まりません。設計を担うのは、地元七尾市出身の建築家・木原圭崇氏。
今回のプロジェクトで木原氏が挑むのは、厳しい敷地条件や構造的課題をクリアしながら、いかにして「震災の記憶」を「未来への希望」へと昇華させるかという難題です。スタッフの労働環境への配慮から、既存杭の再利用というサステナブルな挑戦、そして街と海を繋ぐ「建築的仕掛け」まで。本インタビューでは、木原氏の言葉を通じて、リノベーションという枠を超えた「地域復興のシンボル」としての建築の在り方、そして「負けない建築」と「やさしい建築」が共存する未来の姿を紐解きます。
今回のプロジェクトで木原氏が挑むのは、厳しい敷地条件や構造的課題をクリアしながら、いかにして「震災の記憶」を「未来への希望」へと昇華させるかという難題です。スタッフの労働環境への配慮から、既存杭の再利用というサステナブルな挑戦、そして街と海を繋ぐ「建築的仕掛け」まで。本インタビューでは、木原氏の言葉を通じて、リノベーションという枠を超えた「地域復興のシンボル」としての建築の在り方、そして「負けない建築」と「やさしい建築」が共存する未来の姿を紐解きます。
設計士プロフィール
木原圭崇建築設計事務所
木原圭崇 | きはらよしたか
建築家 一級建築士
〒151-0072
東京都渋谷区幡ヶ谷1-2-2京王幡ヶ谷ビル4F
東京都渋谷区幡ヶ谷1-2-2京王幡ヶ谷ビル4F
経歴
1982年 石川県七尾市生まれ
2000年 石川県立七尾高校卒
2004年 日本大学理工学部建築学科卒
2007年〜 今村雅樹アーキテクツ(有)
2013年〜 4FA一級建築士事務所共同主宰
2017年〜 木原圭崇建築設計事務所設立
受賞歴
・日経アーキテクチュアコンペ最優秀賞
・第一回立原道造賞
・ユニオン造形入賞
・日本建築学会作品選集
・日本建築家協会優秀作品選秀作品選他
1982年 石川県七尾市生まれ
2000年 石川県立七尾高校卒
2004年 日本大学理工学部建築学科卒
2007年〜 今村雅樹アーキテクツ(有)
2013年〜 4FA一級建築士事務所共同主宰
2017年〜 木原圭崇建築設計事務所設立
受賞歴
・日経アーキテクチュアコンペ最優秀賞
・第一回立原道造賞
・ユニオン造形入賞
・日本建築学会作品選集
・日本建築家協会優秀作品選秀作品選他
目 次
旧・⽩鷺亭の解体、そして、新・⽩鷺亭の着⼯へ
2024年の元⽇に能登半島地震が発⽣してから、早いもので2年以上の⽉⽇が流れました。被災地では現在、公費による⼤規模な建物解体が本格化していますが、美湾荘ではいち早く⾃費解体を進めてまいりました。 震災直後は深刻な⼈⼿不⾜に直⾯し、着⼯は2024年後半となりましたが、⼤規模な解体⼯事としては周囲と⽐較しても迅速に進めることができました。昨年末に無事解体⼯事を終えられたことに安堵すると共に、ご尽⼒いただいた関係者の皆様に改めて深く感謝申し上げます。
解体⼯事と並⾏して進めてきた「新・⽩鷺亭」の設計も、このたび無事に建築確認申請が通り、⼯事請負契約を締結しました。そして2026年5⽉、いよいよ着⼯の運びとなります。
この⼤きな節⽬に、これまでの2年間の歩みを振り返りつつ、これから始まる新しい物語についてお話しさせていただきます。
解体⼯事と並⾏して進めてきた「新・⽩鷺亭」の設計も、このたび無事に建築確認申請が通り、⼯事請負契約を締結しました。そして2026年5⽉、いよいよ着⼯の運びとなります。
この⼤きな節⽬に、これまでの2年間の歩みを振り返りつつ、これから始まる新しい物語についてお話しさせていただきます。
「コの字型」の制約に挑む:解体と再建のプロセス
今回の建て替えは、美湾荘全体ではなく、被害の⼤きかった「⽩鷺亭」を中⼼とした部分的な解体・再建となります。しかし、この「部分的な更新」こそが、極めて⼤きな課題となりました。
対象範囲は美湾荘全体の海側中央部に位置しており、周囲を既存棟が「コの字型」に囲んでいます。前⾯道路から海へと向かう搬⼊経路は極めて限定的で、作業スペースは決して広くない既存の庭園部分のみ。そのため、⼤型重機によるダイナミックな解体は不可能でした。内装は基本的に⼿作業で撤去し、躯体については⼩型建機を屋上に揚重。上階から少しずつ解体を進めるという、⾮常に緻密で根気の要る作業が続きました。
結果として、解体⼯事だけで1年以上を要することとなりましたが、私たちはこの時間を単なる「停滞」ではなく、未来への「準備」と捉え、有効に活⽤してきました。 具体的には、解体に伴う設備の切り離しを将来の新築部分を⾒据えて最適化し、全体の⼯期短縮を図ったほか、既存棟の詳細な調査を並⾏して実施。特定⾏政庁との協議を通じて法規・条例の遡及範囲を特定し、段階的な是正も進めてきました。
何よりも重視したのは、⼯事期間中も既存棟の客室を(能登の各地で働く)建設作業員の宿として活⽤し、美湾荘が「旅館」として稼働し続けることでした。仮設間仕切りの位置を状況に応じて柔軟に変更し、宿泊機能と⼯事を安全に両⽴させる。このプロセスこそが、震災に屈せず歩み続けるための⼤きな挑戦でもありました。
しかし、館内の中央に位置し、各棟の「⼈・もの・設備」を繋ぐハブであった旧・⽩鷺亭が封鎖されることは、既存棟のみで営業を続ける上で⼤きな障壁となりました。 そこで私たちは、これまでの運営の常識を⼤きく覆す「発想の転換」を図りました。本来、お客様の⽬に触れるべきではないバックヤードや裏動線を、仮営業期間ならではの「活きた動線」として再定義。複雑化した館内ルートをあえて逆⼿に取り、仮設通路にこれまでの歩みを展⽰するなど、今しか体験できない価値へと昇華させたのです。こうした不⾃由さを乗り越えるための創意⼯夫こそが、新⽣・美湾荘へと繋がる確かな⾜跡になると信じています。
対象範囲は美湾荘全体の海側中央部に位置しており、周囲を既存棟が「コの字型」に囲んでいます。前⾯道路から海へと向かう搬⼊経路は極めて限定的で、作業スペースは決して広くない既存の庭園部分のみ。そのため、⼤型重機によるダイナミックな解体は不可能でした。内装は基本的に⼿作業で撤去し、躯体については⼩型建機を屋上に揚重。上階から少しずつ解体を進めるという、⾮常に緻密で根気の要る作業が続きました。
結果として、解体⼯事だけで1年以上を要することとなりましたが、私たちはこの時間を単なる「停滞」ではなく、未来への「準備」と捉え、有効に活⽤してきました。 具体的には、解体に伴う設備の切り離しを将来の新築部分を⾒据えて最適化し、全体の⼯期短縮を図ったほか、既存棟の詳細な調査を並⾏して実施。特定⾏政庁との協議を通じて法規・条例の遡及範囲を特定し、段階的な是正も進めてきました。
何よりも重視したのは、⼯事期間中も既存棟の客室を(能登の各地で働く)建設作業員の宿として活⽤し、美湾荘が「旅館」として稼働し続けることでした。仮設間仕切りの位置を状況に応じて柔軟に変更し、宿泊機能と⼯事を安全に両⽴させる。このプロセスこそが、震災に屈せず歩み続けるための⼤きな挑戦でもありました。
しかし、館内の中央に位置し、各棟の「⼈・もの・設備」を繋ぐハブであった旧・⽩鷺亭が封鎖されることは、既存棟のみで営業を続ける上で⼤きな障壁となりました。 そこで私たちは、これまでの運営の常識を⼤きく覆す「発想の転換」を図りました。本来、お客様の⽬に触れるべきではないバックヤードや裏動線を、仮営業期間ならではの「活きた動線」として再定義。複雑化した館内ルートをあえて逆⼿に取り、仮設通路にこれまでの歩みを展⽰するなど、今しか体験できない価値へと昇華させたのです。こうした不⾃由さを乗り越えるための創意⼯夫こそが、新⽣・美湾荘へと繋がる確かな⾜跡になると信じています。
地中にある「最⼤の課題」:既存杭再利⽤への挑戦と、苦渋の設計変更
今回の設計における最⼤の⼭場は、「杭および基礎計画」でした。 解体⼯事の終盤まで全貌が⾒えない地中の状況は、設計段階では50年前の図⾯から推測するほかありません。新しいプランを成⽴させるため、旧建物の杭をすべて避けて新設するのか、あるいは前例の少ない「既存杭の再利⽤」に踏み切るのか。私たちは構造設計チームと⼀丸となり、この難題に向き合いました。
当初、既存杭を避けて新設する⽅法も検討しましたが、旧建物の杭はサイズ・本数ともに膨⼤で、新設杭を打ち込む余⽩がほとんどありませんでした。そのため、既存杭を避けつつ新しいプランとの整合性を図ることは、極めて困難な作業になると予想されました。 ⼀⽅で、既存杭の再利⽤はプランとの相性は良いものの、法的な「評定」の取得が必要となり、コストや⼯期の⾯で必ずしも当時の最適解とは⾔い切れない側⾯もありました。
しかし、地中の残置物という制約は、これからの時代の建築が避けて通れない課題です。SDGsの観点からも、この難題に挑むことは「美湾荘プロジェクト」のみならず、今後の建築の在り⽅に⼀⽯を投じる意義があると考え、私たちは既存杭の再利⽤を前提に構造計画を進めました。
幸いにも解体⼯程が変更され、旧基礎周りの解体が先⾏したことで、予定より早く杭の現況を確認できる好機が訪れました。専⾨業者との協議の結果、「旧基礎の解体と並⾏して杭の状態調査が可能」との⾒通しも⽴ち、再利⽤に向けたプランニングは⼀気に加速しました。
ところが、旧基礎の解体と既存杭調査の着⼿を数⽇後に控えたある⽇、施⼯者から思いもよらない報告が⼊ります。 「現場が海に隣接しているため、解体によって想定以上の浸⽔が発⽣する恐れがあります。作業員の安全確保のため、既存杭の調査は中⽌させていただきたいです」 まさに⻘天の霹靂でした。再利⽤を前提にすべてを積み上げてきた中での、⼟壇場での断念。しかし、⼈命の安全が最優先である以上、私たちは即座に決断を下しました。
「設計変更」
これまで練り上げてきた上屋のプラン変更を最⼩限に抑えながら、新設杭は既存杭を避けながら配置する⽅法を選択しました。既存杭の再利⽤に⽐べればコストは嵩みますが、竣⼯時期を遅らせることは許されません。ここから、時間との熾烈な戦いが始まりました。既存杭や巨大な既存基礎を回避しつつ、数十本に及ぶ新設杭の最適な位置を特定し、それを建物の構造計画と整合させる作業は困難を極めました。予定していた建築確認申請や⾒積図⾯の提出時期を遅らせるわけにはいかないものの、建築のクオリティを死守しながらの設計変更にはどうしても時間がかかります。突発的に発⽣した設計変更のための時間を確保しつつ、確認申請や⾒積もりに要する期間を少しでも短縮できないか――。
熟考の末、私たちはあえて確認申請と⾒積もりを前倒しで⾏うという、思い切った決断を下しました。それらの質疑応答の期間をも有効活⽤して並⾏して設計変更を進めることで、全体として設計に充てる時間を少しでも捻出し、当初のスケジュールへと軌道修正を図るというアプローチです。⾏政とは事前協議の機会を可能な限り増やし、施⼯者とも連⽇作戦会議のような密なやり取りを重ねました。徹底した下準備を⾏い、⻲の歩みであっても⽇々確実な前進を⼼がけたのです。その甲斐あって、そして何より多くの⽅々のご協⼒により、無事に当初の予定通り確認申請と⾒積もりを完了させることができました。通常の設計変更であれば、業務工程の延⻑を打診することは決して珍しいことではありません。しかし、「復興」という歩みにおいて、建物の完成が1ヶ⽉遅れることは⼤きな痛⼿となり、それが「旅館」ともなれば影響は計り知れません。
「少しでも早く、お客様や従業員たちの笑顔が⾒たい」――。 設計変更と向き合い続けた苦しい数ヶ⽉間、私たちを⽀えていたのは、常に胸にあったその強い想いです。この過酷な時期を共に乗り越え、⼒を尽くしてくださった皆様には、感謝の念に堪えません。
当初、既存杭を避けて新設する⽅法も検討しましたが、旧建物の杭はサイズ・本数ともに膨⼤で、新設杭を打ち込む余⽩がほとんどありませんでした。そのため、既存杭を避けつつ新しいプランとの整合性を図ることは、極めて困難な作業になると予想されました。 ⼀⽅で、既存杭の再利⽤はプランとの相性は良いものの、法的な「評定」の取得が必要となり、コストや⼯期の⾯で必ずしも当時の最適解とは⾔い切れない側⾯もありました。
しかし、地中の残置物という制約は、これからの時代の建築が避けて通れない課題です。SDGsの観点からも、この難題に挑むことは「美湾荘プロジェクト」のみならず、今後の建築の在り⽅に⼀⽯を投じる意義があると考え、私たちは既存杭の再利⽤を前提に構造計画を進めました。
幸いにも解体⼯程が変更され、旧基礎周りの解体が先⾏したことで、予定より早く杭の現況を確認できる好機が訪れました。専⾨業者との協議の結果、「旧基礎の解体と並⾏して杭の状態調査が可能」との⾒通しも⽴ち、再利⽤に向けたプランニングは⼀気に加速しました。
ところが、旧基礎の解体と既存杭調査の着⼿を数⽇後に控えたある⽇、施⼯者から思いもよらない報告が⼊ります。 「現場が海に隣接しているため、解体によって想定以上の浸⽔が発⽣する恐れがあります。作業員の安全確保のため、既存杭の調査は中⽌させていただきたいです」 まさに⻘天の霹靂でした。再利⽤を前提にすべてを積み上げてきた中での、⼟壇場での断念。しかし、⼈命の安全が最優先である以上、私たちは即座に決断を下しました。
「設計変更」
これまで練り上げてきた上屋のプラン変更を最⼩限に抑えながら、新設杭は既存杭を避けながら配置する⽅法を選択しました。既存杭の再利⽤に⽐べればコストは嵩みますが、竣⼯時期を遅らせることは許されません。ここから、時間との熾烈な戦いが始まりました。既存杭や巨大な既存基礎を回避しつつ、数十本に及ぶ新設杭の最適な位置を特定し、それを建物の構造計画と整合させる作業は困難を極めました。予定していた建築確認申請や⾒積図⾯の提出時期を遅らせるわけにはいかないものの、建築のクオリティを死守しながらの設計変更にはどうしても時間がかかります。突発的に発⽣した設計変更のための時間を確保しつつ、確認申請や⾒積もりに要する期間を少しでも短縮できないか――。
熟考の末、私たちはあえて確認申請と⾒積もりを前倒しで⾏うという、思い切った決断を下しました。それらの質疑応答の期間をも有効活⽤して並⾏して設計変更を進めることで、全体として設計に充てる時間を少しでも捻出し、当初のスケジュールへと軌道修正を図るというアプローチです。⾏政とは事前協議の機会を可能な限り増やし、施⼯者とも連⽇作戦会議のような密なやり取りを重ねました。徹底した下準備を⾏い、⻲の歩みであっても⽇々確実な前進を⼼がけたのです。その甲斐あって、そして何より多くの⽅々のご協⼒により、無事に当初の予定通り確認申請と⾒積もりを完了させることができました。通常の設計変更であれば、業務工程の延⻑を打診することは決して珍しいことではありません。しかし、「復興」という歩みにおいて、建物の完成が1ヶ⽉遅れることは⼤きな痛⼿となり、それが「旅館」ともなれば影響は計り知れません。
「少しでも早く、お客様や従業員たちの笑顔が⾒たい」――。 設計変更と向き合い続けた苦しい数ヶ⽉間、私たちを⽀えていたのは、常に胸にあったその強い想いです。この過酷な時期を共に乗り越え、⼒を尽くしてくださった皆様には、感謝の念に堪えません。
街と海を繋ぐ「ハレの切り通し」:和倉温泉の復興を牽引するシンボルとして
和倉温泉全体の復興という⼤きな視点に⽴ったとき、美湾荘は単なる⼀軒の旅館の枠を超えた街の「シンボル」としての役割を担うべきだと考えています。計画のキーワードは「めぐる街」と「海へ抜けるデザイン」です。「前編」で述べた通り、これまでの和倉温泉は街から海を感じにくい構造にあり、街中にある海への抜けの多くは各旅館の裏動線となっています。そこで新しい美湾荘では、街側に新設するピロティと海側の新しいロビー空間を観光客や市⺠が⾃由に往来できる「ハレの切り通し」へと再⽣。街の回遊性を⾼めると同時に、街から海へと視線が抜ける開放的な空間を創出します。
例えば、素泊まりスタイルの宿に滞在するゲストが美湾荘へ⾷事やカフェに訪れたり、あるいは、街の⼈々が⽇常的に館内の施設を利⽤する。建築を街に対して開き、相互に良好な循環を⽣むための「建築的仕掛け」を随所に散りばめました。
和倉温泉の中⼼に位置する美湾荘が、次世代の街づくりの旗振り役となり、加賀と奥能登、そして世界を繋ぐ結節点となる――。私たちは、そんな明るい未来の⻘写真を描きながら、この計画を進めています。
例えば、素泊まりスタイルの宿に滞在するゲストが美湾荘へ⾷事やカフェに訪れたり、あるいは、街の⼈々が⽇常的に館内の施設を利⽤する。建築を街に対して開き、相互に良好な循環を⽣むための「建築的仕掛け」を随所に散りばめました。
和倉温泉の中⼼に位置する美湾荘が、次世代の街づくりの旗振り役となり、加賀と奥能登、そして世界を繋ぐ結節点となる――。私たちは、そんな明るい未来の⻘写真を描きながら、この計画を進めています。
段階的な避難・防災計画:美湾荘の特性を活かした動線設計
震災当時の避難状況を記録した動画には、若⼥将による冷静な館内放送のもと、宿泊客と従業員の⽅々が驚くほど適切に⾏動されている様⼦が映し出されていました。⼀年で最も宿泊客が多い元旦にありながら、⼈的被害がゼロであったことは、まさに⼀つの奇跡と⾔えるかもしれません。 後に若⼥将から伺ったお話では、地震発⽣がチェックインの⼀段落した時間帯であり、⼊浴や⼣⾷のピークとわずかにズレていたことも幸いしたとのことでした。しかし、もしこれが就寝中や⼊浴中であったなら、全く異なる結果を招いていた可能性も否定できません。
そうした「最悪の事態」を想定し、新たな⽩鷺亭では、建築特性を最⼤限に活かした「段階的な避難・防災計画」を構築しています。 具体的には、⽩鷺亭の屋上を客室フロアの中間層に相当する⾼さに計画しました。本来、屋外への迅速な避難が理想ですが、津波の切迫や内装の損壊によって外出が困難になる事態も想定されます。そこで、建物⾃体の耐震性を⾼めた上で、この新しい屋上を「第⼀の⼀時的退避場所」と位置づけました。ここは指定避難場所である近隣の観光会館よりも海抜が⾼く、津波に対しても極めて有効な安全圏となります。
また、誘導を担う従業員や常連客にとって、⾝体に染み付いた「馴染みのある経路」こそが⾮常時に最も確実に機能します。そのため、基本的な動線はできる限り従前に近い形で継承しました。選択肢を増やしながらも、決して迷いを⽣ませない。この計画を実効性のあるものにするため、今後はソフト⾯での避難訓練も重要な鍵になると考えています。
そうした「最悪の事態」を想定し、新たな⽩鷺亭では、建築特性を最⼤限に活かした「段階的な避難・防災計画」を構築しています。 具体的には、⽩鷺亭の屋上を客室フロアの中間層に相当する⾼さに計画しました。本来、屋外への迅速な避難が理想ですが、津波の切迫や内装の損壊によって外出が困難になる事態も想定されます。そこで、建物⾃体の耐震性を⾼めた上で、この新しい屋上を「第⼀の⼀時的退避場所」と位置づけました。ここは指定避難場所である近隣の観光会館よりも海抜が⾼く、津波に対しても極めて有効な安全圏となります。
また、誘導を担う従業員や常連客にとって、⾝体に染み付いた「馴染みのある経路」こそが⾮常時に最も確実に機能します。そのため、基本的な動線はできる限り従前に近い形で継承しました。選択肢を増やしながらも、決して迷いを⽣ませない。この計画を実効性のあるものにするため、今後はソフト⾯での避難訓練も重要な鍵になると考えています。
旅館を「地域を守る拠点」へ:ロビーが担うトリアージの可能性
防災計画のもう⼀つの柱は、発災後の応急対応です。余震が落ち着いた段階で、美湾荘⾃体が公的な避難拠点として機能する運⽤を想定しています。具体的には、広⼤なロビーやレストラン空間を、医療救護やトリアージ(負傷者の選別・優先順位付け)に対応できる場として活⽤する提案です。
この構想のベースには、私がかつて設計を担当した「熊本県医師会館」での経験があります。発災時、1階ロビーの活⽤がいかに地域の⽀えとなるかを⽬の当たりにしてきました。旅館という⼤規模な建築が、有事には地域社会を⽀える「防災拠点」へとそのポテンシャルを昇華させる。そんな、建築が果たすべき社会的意義についても、深く議論を重ねています。
この構想のベースには、私がかつて設計を担当した「熊本県医師会館」での経験があります。発災時、1階ロビーの活⽤がいかに地域の⽀えとなるかを⽬の当たりにしてきました。旅館という⼤規模な建築が、有事には地域社会を⽀える「防災拠点」へとそのポテンシャルを昇華させる。そんな、建築が果たすべき社会的意義についても、深く議論を重ねています。
美しい「湾」との再会:8つの新しい物語
⻑年「美湾荘」を愛してくださっている皆様に向けて、私たちは「海との関係性」を再構築したいと考えています。
1階の半分をピロティ化し、⾞ごと海へとエントリーするようなドラマチックな空間演出。そして2階には、海と⼀体となる「インフィニティ・レストラン」を計画しています。これは、私が敬愛する建築家ジェフリー・バワの作品に⾒られる「余⽩」のように、ただそこに佇むだけで海を五感で受け⽌められる、贅沢な空間を⽬指したものです。
また、新しく誕⽣する客室数を「8」室に定めたことにも、特別な想いを込めました。「8」は末広がりの縁起数であるとともに、世界的には「復活」や「再⽣」を象徴する数字でもあります。何より、七尾を象徴する「7」という数字に、私たちの想いである「+1」を加えることで、震災から⼒強く⼀歩前進するという意志を表現しました。8つの客室はすべて異なるデザインを纏い、それぞれが海との独⾃の距離感を持ちます。訪れるたびに新しい⾵景と出会える。そんな、物語に満ちた宿泊体験を提供したいと考えています。
1階の半分をピロティ化し、⾞ごと海へとエントリーするようなドラマチックな空間演出。そして2階には、海と⼀体となる「インフィニティ・レストラン」を計画しています。これは、私が敬愛する建築家ジェフリー・バワの作品に⾒られる「余⽩」のように、ただそこに佇むだけで海を五感で受け⽌められる、贅沢な空間を⽬指したものです。
また、新しく誕⽣する客室数を「8」室に定めたことにも、特別な想いを込めました。「8」は末広がりの縁起数であるとともに、世界的には「復活」や「再⽣」を象徴する数字でもあります。何より、七尾を象徴する「7」という数字に、私たちの想いである「+1」を加えることで、震災から⼒強く⼀歩前進するという意志を表現しました。8つの客室はすべて異なるデザインを纏い、それぞれが海との独⾃の距離感を持ちます。訪れるたびに新しい⾵景と出会える。そんな、物語に満ちた宿泊体験を提供したいと考えています。
歴史を紡ぐ「海の洞窟」:記憶の継承とギャラリーの試み
旧⽩鷺亭の記憶を、いかに次代へ継承するか。私たちはまず、旧館の建具や造作物、置き⽯などの再利⽤を検討しました。震災後、損傷した建物の中から状態の良いものを丁寧に仕分けし、リスト化。⻑年お客様の⽬に触れ、⼿に触れられてきたそれらは、まさに「美湾荘の記憶」そのものです。新しい空間にこれらを組み込んでいく作業は、過去と未来を編み直す象徴的な試みになると信じています。
また、建築の新たなプログラムとして「ギャラリー」を計画します。客室フロアの廊下を、単なる移動のための空間ではなく、海に向かって筒状に突き抜けた「海の洞窟」のような場所として再定義しました。ここは美湾荘の歩み、そして今回の震災の記憶を静かに記録し、伝える場所となります。
10年近く設計に携わってきた「強羅花壇」においても、私は伝統と⾰新の調和を追求してきました。美湾荘においても、歴史が育んできた⾊⾹や煌びやかさを⼤切に受け継ぎながら、それを現代的な洗練へと「変⾰」させていきたいと考えています。
また、建築の新たなプログラムとして「ギャラリー」を計画します。客室フロアの廊下を、単なる移動のための空間ではなく、海に向かって筒状に突き抜けた「海の洞窟」のような場所として再定義しました。ここは美湾荘の歩み、そして今回の震災の記憶を静かに記録し、伝える場所となります。
10年近く設計に携わってきた「強羅花壇」においても、私は伝統と⾰新の調和を追求してきました。美湾荘においても、歴史が育んできた⾊⾹や煌びやかさを⼤切に受け継ぎながら、それを現代的な洗練へと「変⾰」させていきたいと考えています。
「おもてなし」の源泉:持続可能な労働環境をデザインする
美湾荘は震災前よりも客室数を絞っての再出発となりますが、これは単なる規模の縮⼩ではありません。ベテランから次世代への円滑な継承を⾒据えた、雇⽤環境の抜本的な改⾰でもあります。
震災という試練を経て、若⼥将は「従業員もお客様と同じように⼤切にしたい」という強い想いを抱かれるようになりました。「スタッフが⼼⾝ともに健やかに働ける環境があってこそ、真の『おもてなし』は⽣まれる」という揺るぎない信念です。
設計の過程で若⼥将からいただいた細やかなご要望の多くは、実は従業員の動線や作業環境の改善に関するものでした。建築家としてその想いを具現化することは、質の⾼いサービスの維持、ひいては地域経済への貢献や持続可能な旅館経営へと繋がっていくはずです。スタッフの笑顔が溢れるバックヤードから、新しい美湾荘の物語は始まります。
設計の過程で若⼥将からいただいた細やかなご要望の多くは、実は従業員の動線や作業環境の改善に関するものでした。建築家としてその想いを具現化することは、質の⾼いサービスの維持、ひいては地域経済への貢献や持続可能な旅館経営へと繋がっていくはずです。スタッフの笑顔が溢れるバックヤードから、新しい美湾荘の物語は始まります。
結びに代えて:「負けない建築」と「やさしい建築」
できる限り地場の素材を使い、地場の職人の手で建てる。この厳しい風土を誰よりも知る人々と議論を尽くすことこそが、お客様への最高のおもてなしに直結すると信じて疑いません。能登が育んできた「耐え忍ぶ強さ」と「慈しみ」を建築に込め、世界へ発信すること。それが、建築家としての私の使命です。
私たちが目指すのは、過酷な自然や災害に屈しない「負けない建築」と、訪れる人の心に寄り添う「やさしい建築」の両立です。この場所から、再び一つでも多くの笑顔が生まれることを願い、険しい復興の道のりを一歩ずつ、皆様と共に歩んでいきたいと思います。
私たちが目指すのは、過酷な自然や災害に屈しない「負けない建築」と、訪れる人の心に寄り添う「やさしい建築」の両立です。この場所から、再び一つでも多くの笑顔が生まれることを願い、険しい復興の道のりを一歩ずつ、皆様と共に歩んでいきたいと思います。
インタビュー続編について
「木原圭崇建築設計事務所 木原圭崇」の建築への思いと建築作品
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木原圭崇建築設計事務所
木原圭崇(きはらよしたか)
建築家 一級建築士
〒151-0072
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東京都渋谷区幡ヶ谷1-2-2京王幡ヶ谷ビル4F
【経歴】
- 1982年
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石川県七尾市生まれ
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- 2004年
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日本大学理工学部建築学科卒
- 2007年〜
-
今村雅樹アーキテクツ(有)
- 2013年〜
-
4FA一級建築士事務所共同主宰
- 2017年〜
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木原圭崇建築設計事務所設立
【主な受賞歴】
日経アーキテクチュアコンペ最優秀賞
第一回立原道造賞
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2007年秋にスタートした、取材させて頂いている建築家へのインタビュー記事です。住宅、集合住宅、商業施設、公共施設など建築家の体験談をお楽しみください。
